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愛媛県警察医会(Ehime Police Medical Officers Society)
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Research ページについて:
会員の研究や事例報告の為のページを計画しています。事例によってはかなり一般向けでない不快な写真などが掲載されるので,当面は医師および司法警察員向けクローズドのページにしたいと思っています。一応仮のIDとパスワードを設定していますが,まだ運用にいたっておりませんこの件についての御意見があれば管理者までお知らせ下さい。
上田会長の年頭雑感を掲載しました (2012年1月17日)。
田邊理事によるLancet誌の論文紹介をUPしました。ページ末をご覧下さい(2011年11月26日)
*ホームページ開設にあたって
臨床医にとって検死は一般診療行為におとらず重要なものであるが、一般の臨床医がこれを行うことは比較的少ない。しかしながら検死業務は警察医の専管事項ではなく、医師であれば行わねばならない応召義務である。大学に法医学の講座はあっても、其処で教えられることは死後変化や死体現象が主体であり、その殆どは犯罪の立証のための知識である。しかし、一般臨床家にとって最も重要な内因死に関しては殆ど教育されることがなく、いざ検案の現場に立ち会ってもどのように処理すべきか戸惑うことが多い。われわれ臨床家の立場からすれば,法医学は検死学の一部門に過ぎず,検死学は臨床医学の範疇として教育すべきであると考えられる。
このような実情から愛媛県警察医会は「臨床検屍」という小冊子を発行し、啓蒙に努めてきた。今回、愛媛県医師会のご好意により身近な時点で我々の活動を知っていただき、臨床検死に理解を深めていただく目的で「愛媛県警察医会活動報告」のスペースを設けていただいた。同時に検死・検案に関する情報を一般臨床医の方々に知って戴きたいと考え,このホームページを設けた。なお、警察医会では年3回の講演会、研究会等を現場の司法警察員と共に開催している。今後は興味ある事例や研究報告などを順次掲載していく予定である。
*臨床検死とは 
臨床検死とは臨床医の視点に立つ検死である。
検死は刑事訴訟法229条により変死若しくはその疑いがある死体に対し,検察官並びに司法警察員が検視を行い,医学的意見をのべる。司法はヒトの死を病死または老衰による自然死とそれ以外の不自然死に分け,不自然な死を異常死体または変死と呼ぶ。ヒトの終焉は疾病あるいは老衰によって死に至り,その経過を医学的に観察,確認する第三者の存在が前提になっているものと思われる。臨床医が検死の要請を受けて検視の立会いをするのは,臨床医の立場から死因,死後経過時間など死の確認を求められることであり。それは臨床医学の最終業務であると考える。従って若し死者が既知の人であればそれは緊急往診に他ならず,また未知の人であっても運命共同体の一員として医の倫理に反しない行動をとるべきである。即ち,臨床検死の原点はここにある。
異常死は増加の一途を辿り,全国で年間17万件以上,愛媛県でも2000件を超える。その7割近くは内因死であり,犯罪死は1割前後である。内因死の検案は既往歴,現病歴,或いは治療歴の確認が困難な場合が多く,死因の推定も疑診断となることが多い。現在模索が続けられている死因究明制度には臨床検死の立場から言えば,内因死例や救急搬送された心肺停止例は全て解剖されることが望ましい。それが日夜検案業務に携わる臨床検死医の希望である。 (愛媛県警察医会参与:前会長:村上 光)
*愛媛県下の検案件数の年次変化
愛媛県下における死体検案の件数は年々増加し,近年では年間2000体を超えるようになった。左の図は検案件数の年次変化を示したグラフである。平成23年(2011年)においては6月中旬までの統計であるが,年を追って増加していることが分かる。また右図は検案に携わった医師の類別を示している。警察医と協力医が6割強を占めている。救急病院における検案はCPOA(DOA)にて搬送され蘇生出来なかった症例と思われる。検案死体の多くは内因死によるもので,死因診断に当たっては検案医の力量の問われるところである。この様に検案の増加に伴いマンパワーが必要になってくるが,前会長の肝煎りで警察嘱託医とは別に検案協力医制度を設けこの面での初動がスムーズに行える様になった。また主な救急病院には協力医を委嘱し,CPOA患者の検案に力添えを戴いている。とは言え,制度的に整いつつあるのは松山市などの都市部に限られ,郡部ではまだまだマンパワーの不足がある。その意味で病死の場合は経過を良く知っている主治医の御協力が是非必要と考えられる。(資料提供:愛媛県警察本部刑事部捜査一課検視係り;文責:金子 仁)。

*検死と死因究明制度について
私は勤務医でいた頃,一般臨床医の方が検死をして居られることも,そしてこんなに多くの病人が異状死として最後を迎えることも全く考えたことがありませんでした。
生まれて初めて検死の現場に連れて行かれた時はどうしたらよいのか全くわからず,借りてきた猫どころか信楽の狸の焼き物のように突っ立っているだけで,検死を了えた警察官がテキパキと死体所見を説明し,死亡時刻の推定,考えられる死因などを教えてくれたのでそれに同意をして検死が終わった次第でした。
その時は検死をしたら死者のカルテ(検屍録)を作り,検案所見を記載しておかねばならない(医師法第21条)ことも知りませんでした。学生時代を思い出してみても,法医学の講義に検死の仕方に関する項目はありませんでしたし,ましてや検死の実習なんか当時の教授達の頭にはなかったと思います。今でも検死の実地研修を行う大学は極めて少ないと思います。日本の検死制度は警察官にオンブにダッコです。
警察官の死因追及は隠れた犯罪を見逃さない一点にかかっています。その為,現在10%前後に止まっている解剖率を5年後に20%に引き上げようと模索しています。検死統計でみると全国で約17万件の変死の内,犯罪死は1割程度,6〜7割は内因死,残りが事故死です。愛媛県の検死件数は約2200件,内因死は1600件で他殺は極僅かです。死因究明に解剖が必要なのは犯罪だけと限りません。むしろ内因死にこそもっと積極的に解剖を行って死因確定につなげたいと思うのは,検死業務に携わっている臨床医の先生であれば誰しも考えたことがあると思います。でも,その為の行政解剖の予算は年に10例分しかないのです。
検死に立ち会ってみますとヒトの臨終の姿は千差万別です。内因死と言えども病院のベッドの上で迎える死だけと考えるのは大間違い,臨終の最終局面が如何に多彩なものであるか,そして検案診断とは推理小説の謎解き以上に難しい頭の体操であることかと実感するのです。「死因究明」を旗印に掲げるのであれば,内因死もすべて病理解剖を行う制度を確立しない限り,検案医は何時までも「疑診断」で満足,いや欲求不満の連鎖によって落ち込んでいかなければならないでしょう。
少しでも検案診断の精度を上げる為には,検死に「正当な事由」の為立会い出来なかった(医師法第19条)主治医の方は,自分の代わりに検死に出かけてくれている医師の参考となるよう,なるべく詳細な診療情報を提供して戴きたいと思います。そして近い将来,少なくとも心肺停止で救急病院に搬送され,不幸にして救命出来なかった方や,内因死と考えられる検死例も全て行政病理解剖が行われるような死因究明制度が完備することを切望しています。
そうなれば先進諸国が信用してくれる死因統計を作ることも可能でしょうし,検案医の欲求不満も減ることでしょう。(文責:村上 光)
*東日本大震災における検視活動に参加して(愛媛県警察医会理事:田邊 亮介)
3月11日に発生した東日本大震災に関する報道や、各種機関による報告などで被災地の情報は広く知られているところであるが、我々、検視・検案に関わる医師や警察関係者による活動は周知されているものではない。
今回、被災地での検視活動に参加したので、その一端を記述する。
日本法医学会は、阪神神戸大震災及び新潟県中部地震での活動経験と教訓から、東日本大震災発生直後から対策委員会を設け、担当理事を含む検視チームが直ちに出発するとともに、会員に対して検視活動への出動準備を指示し、参加要請と人員調整を開始した。混乱の中、13日に被災県警察本部長からの正式な出動要請文書が出され、15日には警察庁長官名での要請がなされた。この間、情報及び伝達錯綜のため、日医や県医師会からも検視活動への出動準備が行われたが、同日夕刻には、検視活動は法医学会が主導することでまとまったようである。第一陣からは、交通網・連絡手段ともに寸断されており、電気や水もない状態で、移動は警察車両でしかできず、物資不足と寒さに関する報告であった。続いて被災各県に10名ずつ検視医が投入されるローテーションが組まれ、移動日を含めて8日間の検視業務をこなしていくことになった。警察の検視班は、県警単位で編成され、8から10人程度、2週間交代で陸路(愛媛からも水・食糧持参、車両で1500キロ走って)で投入された。そんな中、二日間現地で検視に携わり、160体の検視をしたという関西の某県医師が記者会見を開いていたが、どうやって現地に入って、一体20分程度かかる検視を、日没までの時間でして、どうやって帰ってきたのか、甚だ疑問である。
現地の法医学教室、警察医会の諸先生の活動に加え、効果的な人員投入は、全国の大学法医学教室医師を略総動員して順調に行われた。最終的に法医学教室所属の医師は今回の検視活動に概ね全員が協力したとみられる。
そして、3月30日夜、愛媛大学法医学教室で司法解剖執刀中に出動要請が入った。4月5日から12日までの8日間、宮城県への派遣が内定したが行けるか、との問い合わせである。その頃、父が肝臓癌の脳転移で意識状態が不明瞭になってきており、稍逡巡したが受諾した。私は開業医であるので、当然、診療は休止することになる。急遽患者さんたちに8日間休診する旨周知しようとしたが間に合わない。留守部隊に「投薬も注射もできません」と断って謝るよう指示し、父のことは身内に託して4月5日伊丹経由で空路山形入りした。
「警察庁派遣 宮城第5班 愛媛大学所属」と名札には書かれていた。警察庁長官名の嘱託書にも所属はなぜか愛媛大学になっていた。一応、教育協力者という職名は頂いているのと、他のメンバーとのバランスのためのようである。北大の寺沢教授も空路到着したようだが、他のメンバーは東京の警視庁前から警察のバス(機動隊が使う青いバス)に揺られての山形入りであった。
なぜ山形か。安全確保のため、宿舎は山形市内で、そこから毎日宮城に通うのである。
山形―宮城は高速道路で1時間の距離ということであったが、これが結構大変であることに後で気づくことになる。
宮城5班のメンバーは次のとうりである。美作教授(秋田大学)、寺沢教授(北海道大学)、西村教授(徳島大学)、大澤教授(東海大学)、高橋教授(東邦大学)、塚医師(金沢大学)、安慶田医師(沖縄医療センター)、高橋医師(琉球大学)そして私の9名。愛媛県関係者が4名含まれ、事務局の配慮を感じた。

到着後、前の班からの引き継ぎ等のミーティングがあり、諸連絡・注意事項伝達、事務用品引き継ぎ(朱肉、定規、ボード等持っていっていないもの、現地にないもの等多数)を受け、夕食後解散、すぐに就寝し業務にそなえる。
初日、朝は6時30分から朝食をとり、7時に山形県警のバスで宮城県警本部に移動する。高速道路は途中蔵王付近を通り、残雪がまだあることで北を実感する。自衛隊の隊員を乗せたバス多数や、埼玉県警・警視庁のパトカーが20台以上赤色灯を回しながら追い抜いていく。(昔見た刑事ドラマの様)資材を満載したトラックも走っていく。高速道路の通行規制は数日前に解除された。というわけで、仙台インター手前から渋滞である。仙台市内も渋滞がひどく、結局1時間30分を要した。(これが毎日、往復ある)
宮城県警本部で簡単なミーティングがあり、東北大学の舟山教授の出迎えを受ける。ここで各人がその日の現場を指示され、宮城県内8ヵ所に散っていくことになる。一人で現場を指揮できる者、という参加要件の理由が分かる。
1日目の現場は、石巻市の飯野川高校体育館であった。沿岸部ではないが、旧北上川を遡った津波で被害を受けたとのことである。移動に2時間30分を要した。新潟県歯科医師会のメンバーとご一緒した。彼らも開業医で、診療所は閉めてきたとのこと。5日交代で、仙台の歯科医師会館で寝泊まりしているとうかがった。尚、仙台市内は風呂が使えないとのことだった。担当は地元宮城県警で、東北弁が飛び交っている。到着後、早速検視を始めるが、震災後一カ月を経過しており、この地区での遺体の収容数は減ってきているそうである。運ばれてきたご遺体はいずれも瓦礫の下や田んぼの泥の中から発見されたもので、全身泥だらけである。搬入・捜索に当たる自衛官も泥まみれで黙々と任務を遂行している。水道が使えないので、バケツの水を手ですくってかけ、着衣を脱がせ、その特徴を記載し、全身を清拭した後、検視の所見をとっていく。何れも顔面のうっ血・チアノーゼが強く、爪床もチアノーゼを呈し、鼻腔・口腔内には土砂及び泥状物が充満し、眼瞼・外耳道も同様であり、死後一カ月を経ているため、微細泡沫こそ確認できないが、溺水を死因とするのに十分な所見であった。外表には不定な方向からの擦過創や生活反応を伴ったり伴わなかったりする骨折がみられ、泥流に巻き込まれて溺死した様子が見てとれた。
死後一カ月を経ているにもかかわらず、死後変化はさほどでもなく、DNA鑑定のための血液採取(通常は心臓血を用いる。私は鎖骨下静脈をよく使う。)も派遣期間中の全例で可能であった。これはご遺体が泥の中など外気に触れない場所にあって、気温が低かったため、と考えられる。改めて教科書に出てくるCasperの法則(死後変化の進行度は、空気中:水中:土中=1:2:8)を勉強させられた。
我々、法医学をやっている者は、死後変化の強いご遺体を診たりした後でも、食事をするのは平気である。お昼になれば腹も減る。というわけで、昼食休憩に入る。昼食は警察から支給される菓子パン(甘いの)2個と水1本。食事にならない。翌日からはおにぎりを買っていくように心がけ始めるのであるが、当時は山形市内でも物資が不足し、買いそびれることもあった。(仕方ないのでなぜか残っていた冷やし中華を持っていったこともある。)物資といえば、物流はある程度回復してきており、山形市内はアマゾンの配達が使えたので(PC持ち込んでいたのでネットでOK;便利な世の中になった)重宝した。
午後は帰りの渋滞があるので早めに切り上げ、翌日当番の先生に託すことになっていた。19時までに全員が宮城県警本部に戻り、ミーティングを経て山形に戻る。帰りついたら20時30分。夕食をとりながらミーティング。各々の地区状況、ご遺体の状態の報告など済ませ、シャワーを浴びて就寝。
2日目は旧角田女子高体育館。県南部で、赤貝で有名(だそうだ)な、閖上浜が近くにある。移動に使う車両は毎日変わる。運転手も同様で、今日は地域課(交番のお巡りさん)の若者2名が私一人を送ってくれる。普段、警察車両での移動中はラジオが流れていることはないのだが、今回の活動中はずっと流れていた。気を遣ってくれていたのだろう。今日の現場も水道はない。工事用の発電機付きの照明が耳に障る音で呟いている。

検視班は滋賀県警と大分県警が担当している。県警ごとに流儀も違えば、手早さも違う。指紋の採り方までも個性が出てくる。原発で使っているのと同じ防護服を着た3人組が掃除専従部隊となって活躍している。後で聞いたら、警察学校の生徒だそうである。御遺体の状況は昨日と同様であるが、アルバムを抱いた女の子、老女と手をつないだまま発見された幼児などが運ばれてきており、少しでも身元確認の手がかりになるように特徴や所見を記載した。この地区は津波の襲来が午後4時頃だったとのことで、一度避難した後、自宅に何かを取りに帰ったために被災した方が多いと伺った。地元歯科医師会の先生方に歯科所見のとり方や記載方法を教えて頂いた。帰りは防波堤の役目をした仙台南道路を通ったが、海抜2メートルの仙台平野に押し寄せた津波の被害を目の当たりにすることになった。
3日目の早朝、父の具合が悪いと連絡があり、日赤に救急搬送するよう伝え、旧石巻青果市場へい向かうバスの中からBSCをお願いした。この現場は遺体収容数が多いため、寺沢教授と2名で作業する予定だったが、女川に人手が必要とのことで、一人で対応することになった。渋滞のため移動に3時間近くを要し、現地到着後直ちに検視を始めるが、京都、鹿児島、香川、大阪、静岡の各県警チームがすでに20体近く待期させており、一時繁忙を極めた。最盛期には600体の遺体が検視待ち状態にあったと聞く。検視作業は順調に済んでも、死体検案書を作成する作業があり、どう考えても160体の検視を日中だけでこなすことは無理である。石巻の町並みは報道されており通りの惨状であった。車両内から発見された夫婦、幼稚園の制服を着た女児など、血液採取及び爪の採取にも配慮しながら所見をとる。河川で発見された御遺体は多少死後変化が進んでいた。
その夜、寝入りばなに大きな余震があり、いきなり停電し非常灯が点った。窓からみると信号も消えている。こらあかん、と、あっさり諦め寝てしまう。翌朝も非常灯がついたままで、信号も消え、エレベーターも止まっている。朝食は無いものと思って定時にロビーに集まると、なんと朝食はサーブされていた。フロントも蝋燭の灯りでコートを着て業務をこなしていた。
4日目は南三陸町のベイサイドアリーナまで行くことになった。遠い。山間の狭い道を下っていくと、街がない。漸く通れるほどに道路端に寄せられた瓦礫の谷間を抜けていくと、テレビでみた病院や、骨組みだけになって乾いた海藻が引っかかって風に揺れている防災本部を右手に通り過ぎ、自衛隊車両と譲り合いながら丘を登っていくと、被害に遭わなかった住宅街の向こうに目的地が見えてきた。教科書でしかみたことのない空襲後の焼け野原のような、建物の土台と瓦礫しかない丘の下とは別世界が広がっている。報道各社の旗を付けたタクシーが駐車場にあふれ、トレーラーの荷台に据えられた巨大スクリーンでは民放の番組を放映し、ボランティアは炊き出しの呼び込みの声を張り上げ、なんと焼き鳥もある。大型の発電機が唸り、某有名医療チェーンの救急車が3台控えている。野球のグローブを持った子供たちも走り回っている。聞けば、プロ野球選手が慰問に来るとのこと。よくわからない宗教団体の天幕も設営されており、祭りが行われているようだった。
検視業務は粛々と行われた。死後の焼損とみられる御遺体があった。帰途、道端に車を止め記念写真を撮っている医療チームに出会った。
5日目は宮城県警察学校。ここは電気も水道も復旧していた。被災した警察車両が集積されており、錆が目立つ時期になっていた。この日は自衛隊や米軍も動員した一斉捜索が行われた。海上漂流遺体の搬入があった。
宿舎では、私の出身大学から派遣されたと覚しき一団が居酒屋で大宴会(多分打ち上げ)を繰り広げていた。最終日を控え、大澤教授と高橋教授の3名で研究面での打合わせのため一寸一杯と思ったら、「ビールは売り切れてしまいました」とお店の人に告げられたが、「酒でいい」と一言。一週間ぶりにエタノールが入った。
6日目、検視業務は今日まで。東松島の小野地区体育館も渋滞がひどかった。警視庁の担当で、昔話ができた。死後変化の進んできた御遺体が目立つようになった。検視場所と遺体安置場所はブルーシート一枚で分けられているだけなので、ご遺族の啜り泣きなやお経が聞こえてくる。発見状況や着衣の特徴も併せて記載する。ミサンガという言葉を初めて知る。米軍のシャワーコンテナをみてMASHを思い出す。
宿舎に帰投後、次のチーム(慶応、千葉、長崎等)に引き継ぎをして、昨日の居酒屋で慰労会を行う。6月の法医学会総会(福島)での再会を約束して解散。
翌日、空路で東京へ。秋田大の美作教授は、秋田県警が迎えに来て車で連れて行かれた。当初は警察のバスで警視庁まで送ってもらう予定だったが、一斉捜索のためにバスがない、という事態に陥り、JAL臨時便で移動。乗り継いで午後松山到着。その足で日赤へ。辛うじて会話は可能だった。そのまま午後の診療をこなし、夜には司法解剖が入ったため愛媛大学へ。(翌々日もありました。)2週間後に父は他界した。
検視の状況についてまとめると
1. 死因は津波による溺水と判断できた。
2. 低温、泥中などの死後環境のため、死後変化の進行していない御遺体が殆どだった。
3. 生活反応を伴う損傷と伴わない損傷が併存していた。
4. 個人識別のための採血は全例で可能であった。
5. 検案書に記載する際、死因の種類は不慮の外因死・その他、即ち8になる。(死因が溺水であれ、焼死であれ、胸腹部圧迫であれ、地震など,自然の力 に よる死亡は,ICD-10でX30〜X39に分類されるため)
6. 警察庁からの謝金・日当は法医学会の総意として辞退した。(今回は大学所属扱いであったため異存は無いが、今後、開業医の協力を要請する場合には問題になるだろう。)
個人識別は、DNA鑑定を行うため、採血と爪の採取を行った。発見場所、発見された状況、着衣の検査、所持品、手術痕や身体的特徴も検案書のその他とくに付記すべきことがらの欄に出来るだけ記載した。歯科医師会の先生方が組織的に協力しており、大活躍されていた。6月の段階で、約99.6%の御遺体の引き渡しが出来ているとのことである。
着衣についてNHKがアンケートを送ってきた。厚着をするために避難が間に合わなかった方々がいるのではないか、という主旨の設問であったが、宮城ではそういった状況はなかった。今後、次のような課題が考えられる。
A.震災関連死の診断:震災関連死についての基準はないため、自治体任せになっている。しっかりした死因究明制度の構築が望まれる。
B.個人識別:基本的な手技をはじめDNA鑑定のほかに、画像診断技術の応用が考えられるが、今回のような大災害時にCT等がどの程度有効であるかは未知数である。
C.法医学会との連携 :大学との連携も含めて考えていく必要があるが、今回、愛媛県で参加を表明したのは、中西先生と私だけである。日本医師会は日本警 察医会と連携しているようであるが、日本警察医会は全国組織ではないということを念頭に置いて欲しい。Ai学会も同様である。法医学会も開業医との連携が出来るように考えるべきである。
D.大災害時の検視体制:愛媛県警察医会で対応を計画している。
E.検案できる医師の養成 :開業医を応用すべきである。
*死後画像診断について
最新のLancetに死後画像診断に関する論文が掲載された。
洋の東西を問わず、解剖という手技は好まれておらず、特にユダヤ教やイスラム教ではその傾向が顕著なようである。掲載された論文は、英国での検討であり、全死亡例の22%が解剖されている(変死事例では50%を越える)環境での話である。CTやMRIを使った死後画像診断は、遺体への侵襲が極めて少ない検査方法で有り、我が国でも用いられるようになってきている。
論文によれば、成人182人の遺体についてCTおよびMRIを剖検前に施行し、剖検所見との比較が行われている。診断医が、画像診断だけで死因を特定できたと考えて解剖は不要であると判断したものがCTでは34%、MRIでは42%あったが、剖検所見と一致しなかったものがCTでは16%、MRIでは21%もみられている。画像診断だけで死因が特定できなかったものを含めると、画像診断と剖検所見の食い違いはCTでは32%、MRIでは43%に上っている。最も好発した死因同定の誤りは、原因不明の突然死に多く発生しており、虚血性心疾患、肺動脈塞栓症、肺炎と腹腔内疾患であったとされている。また、細菌性髄膜炎でも見落としがあったとされている。さらに肺炎と肺水腫の誤認や、死後変化による診断の困難さも指摘されている。一方、剖検でも微少な脳梗塞の見落としが記載されている。当然のことであるが、画像診断単独では、毒物学的な診断をすることは出来ない。尚、MRIよりもCTの方が利点が多いとも述べられている。
結論として、死後画像診断は主な死因の一部は特定することが可能で、解剖数をある程度減らせる可能性を指摘している。一方でCTやMRIではありふれた死因さえも頻繁に間違えてしまう。画像検査の弱点を強調することなく、解剖の代用として画像検査を使用すれば、死因統計上、大きな誤りが発生するだろう、とも述べている。
CTやMRIは高価であり、死後画像診断としての撮影や診断するためにはトレーニングも必要である。解剖は検視の手段として最も信頼できる方法であり、死後画像診断はいくつかある補助的な方法の中の1つに過ぎないとも記載されている。
いずれにせよ、剖検と画像診断を組み合わせて、正確な死因診断を行っていくことが望まれる。
The lancet. November 22, 2011 DOI:10.1016/S0140-6736(11)61483-9 :(愛媛県警察医会理事 田邊亮介 抄訳)
「警察医雑感」 愛媛県警察医会会長:上田 英憲 (2012年1月)
平成8年5月に松山南警察署の嘱託医(警察医)になって15年が経過した。警察医の任務は留置人の健康管理と死体検案である。元々は留置人の健康管理が主で、死体検案は従と聞いていた。しかし現実には死体検案の方がはるかに必要度が高いのである。しかも検死は時間と場所を選ばない。深夜だろうと診療時間中だろうと、はたまた当管内で言えば砥部町広田であろうと東温市河之内あろうと署員を余り待たせる訳にもいかないのでできるだけ速やかに出かけなければならない。最近は体力の衰えも感じており、深夜の検死は同僚の若い警察医吉岡進理事にお願いしている次第である。
検死に際して最も難渋するのは死亡の原因を決めなければならないことである。死亡した人をみるということはそれまではほとんど経験したことがなかった。ことに病死と思われるご遺体の病名をつけることは至難の業である。亡くなられた方の家族の話を聞いたり、通院歴があればその医療機関に問い合わせて情報をいただくのであるが、中には個人情報保護法に抵触すると考えられているのか何も教えてもらえないこともある。それなら自分の患者なのだから自分で検死すればいいのにと恨み節の一つも言いたくなることもある。それでも警察医会主催の講演会や研究会に出席していろいろ教わりながら少しでも診断の精度を上げようと健気な努力はしているのである。著明な法医学者が私どもの講演会で「死因を何でもかでも心臓死にしてはいけない。あらゆる知識を動因して極力正確な死因を診断しないといけない。それが亡くなられた方に対する礼儀だ。」と言われたことがある。胸にずしんときた。にもかかわらず自分の書く検案書の病名は相変わらず心臓死の何と多いことか。髄液採取のための側頭下穿刺のやり方やAI(Autopsy Imaging)というCTやMRIを 使った死後の画像診断なども教わった。
AIは多くの情報を提供してくれるが、医療機関の好意と協力が必要だし、費用の問題もある。それでも診断がつかないこともしばしばある。解剖をすることが最も望ましいのであろうが、ご承知の通り我が国の解剖率は先進国では最低だそうである。特に愛媛県では法医学の教授が長い間不在で法医解剖に大きな支障がでている。近々法医学教授の選考が始まるらしい。結構なことである。当県での法医解剖は資格を有する開業している警察医の献身的努力に依存しているのが現状である。国会では全国に監察医制度を設置することを検討しているらしいが、深刻な医師不足や逼迫した予算などで実現は不可能と言わざるを得ない。
医師は何時なんどき検死に立ち会うことになるかもしれない。普段からその心積もりをしておく必要がある。我が警察医会の講演会等は県医師会員にも参加を呼びかけている。ご都合がつくようなら是非出席していただきたい。
手前味噌になるが、愛媛県警察医会の活動は全国に誇れるものと自負している。今後も会員一同切磋琢磨して更に良い会に育てていきたい。
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